平成16年度青森県ボランティア講座参加報告

 田中健史さんがシンポジストとして参加しました。

「これが私たちの第一歩」発表原稿

 私が、ボランティアの人と本格的に関わりを持つようになったのは、養護学校の高等部を卒業して18歳になった頃だったと思います。はじめ私はボランティアの人にどう接して良いのかかなり戸惑いました。なぜなら、いつも家族や病院の人など、ごく限られた人としか接点が無かったからです。でも、これから自分の人生を切り開いて行く為にはここで背を向ける訳にはいかないという気持ちがありました。「それが私の背中を強く後押し」してくれ、私の方から思い切って声をかけることができました。その時から私の周りが少しずつ忙しくなっていきました。

 はじめてボランティアの人と外出したときは、確か雨が降っていた日だったとおもいます。私は、不安で前の日はあまり眠れなかった記憶があります。それはそうです。私にとってボランティアの人とだけで、外出するということは「生まれてから一度も無い」はじめてづくしのことだったからです。でも、私が心配していたことはあまり無く、すごく楽しい時間を過ごすことができたこともあって、外出から帰ってきた時私の胸の中に「自由に買い物できた喜びと次また出かけたい」という気持ちが生まれたことを今でもよく覚えています。

 みなさん私はこう見えても三度の食事よりも、音楽が大好きで何度かステージに立ち歌ったり、養護学校時代の同級生と自作のCDを製作したりしています。私には心から信頼している兄貴のような存在のボランティアの人がいます。その人は、医大生なんですが忙しい合間を縫ってよく私のところへ来てくれます。

 音楽に関してのアドバイスや共にステージに立ち演奏をしてくれたり、CD製作に協力してもらっています。彼は、いつも一生懸命私の人生の1ページを埋める手伝いをしてくれています。

 彼をはじめボランティアの人と出会ったことで、出来ないと思っていたこと、勇気が出ずに諦めていた自分が、新しい自分に生まれ変わったような感じがします。生意気を言うようですが、これは私にもみなさん方にも言えることだと思いますが「何かを頑張ろうという気持ちがある人には、たくさんの人とのすばらしい出会いが待っている」これは間違いないと、私は自信をもって言えます。

 私の知っている人で、私と同じように障害をもっていてボランティアをしている人のことを少しだけ話をしたいと思います。その人は「今までたくさんのお世話になった人たちへ恩返しがしたい」という気持ちから「歌の出前ボランティア」をやっています。県内の老人ホームや施設をたくさん回っているそうです。私が大変じゃないかと聞いた時、その人は「歌を聞いたひとが少しでも喜んでくれれば小さな苦労なんて平気」だと言っていました。この人のように「人に対し笑顔や感動や勇気をあたえてくれるのも」ひとつの「ボランティアのかたち」だとおもいます。それから私自身についてですが、私は時々困っている人を見るとどうしたのとついつい声をかけてしまいます。それはなぜかというと「たとえ障害をもっているからといっても私はひとりの人間として、誰かのために役に立ちたいという気持ちを持っているから」です。先日、私にもできるボランティアは無いかということで、浪岡の北小学校でボランティアについて講演して来ました。私は二つ返事で引き受けることにしました。引き受けた理由は、「運命を感じたのと、一人でも多くの人にボランティアの大切さを伝えたい」気持ちがあったからでした。どうして私がボランティアをするかというと、子供の頃、私は自分の病気は治ると思っていました。でも、治らないことが小学四年生の時にわかってから、人より大人じみていたせいか、これから「どう生きていけばいいのか」考えていました。そんな頃にボランティアという言葉をはじめて耳にしました。はじめは言葉の意味さえも分かりませんでした。「やってもらう側になって」初めてありがたみや意味が少しずつ、解ってきたのです。そのありがたみを感じてきたからこそ自らボランティアをしようと思うのです。今こうして皆さんの前で私が話が出来るのも「たくさんのボランティアとの出会い」のおかげだと思っています。

 最後に私が言いたいのは、ただ純粋に「誰かのために役に立ちたいという気持ちをもち」行動する。これが私の考えるボランティアです。そして、今日のテーマである「私たちの第一歩」を踏み出すときは当たり前のことですが「とにかく自分から話しかける」これが一番大切だと思います。

 これで私の話は終わります。最後まで聞いて下さり、どうもありがとうございます。